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問題点C :議長が「覊束裁量」発言で審議会を誘導。審議会の役割をも自己否定

事務局から知事に提出された書類は適合表だけ?


議事録上の様々な発言より幸福の科学学園・関西校の学校設置認可を巡っては、
大変紛糾した私学審議会であった様子が明らかになりました。

ところで、私学審議会での議論内容や雰囲気は、どのように知事に伝えられたのでしょうか?

議事録の情報公開を行った仰木の里まちづくり連合協議会(以下、まち連)が、知事に提出された 資料一式の情報公開を行ったところ、結審の後に知事に提出されたのは「適合表」という
資料だけ
であったことが判明しました。

適合表(高校)

  適合表(高校)
  (まち連HP掲載)

適合表(中学)

  適合表(中学)
  (まち連HP掲載)







あれほど紛糾した私学審議会の様子を示す議事録や、一次認可の審議で問題となった
委員からの付言に対する評価結果に関する情報は、一切、知事に伝わってはいなかったのです。

また、この適合表は、学校設置基準として学校の人員規模や施設準備の是非を判定する
文書となっており、問題視された「地域連携」等を明確に評価する項目が含まれないものでした。

つまり、私学審で提起された懸念は最初から知事に届き得ないことになっていたのです。

[参考:2013年2月に知事の提供された"適合表以外"の文書一覧]
文書名
開発行為又は建築に関する証明書(大津市) ※H23.8.29提出済み資料の再提出
 (↑2013年3月現在、大津地裁で有効性を係争中)
宅地造成に関する工事の検査済証(大津市) ※H23.8.29提出済み資料の再提出
 (↑2013年3月現在、大津地裁で有効性を係争中)
私立中学・高等学校の新設に係る意見の紹介について(回答)(栃木県)
  ※H23.8.29提出済み資料の再提出
宗教教育に関する法体系 ※H23.8.29提出済み資料の再提出
大津市建築審査会裁決書 ※H25.2.6提出
 (↑2013年3月現在、不服として大津地裁で有効性を係争中)
建築確認処分執行停止申立事件判決文 ※H25.2.6提出
 (↑2013年3月現在、大津地裁で本審理継続中)
検査済証(建築基準法)※H25.2.6提出
 (↑建築計画の変更前の建築確認に対応する検査済書との原告主張で、現在無効を係争中)
消防用設備検査済証(消防法) ※H25.2.6提出
幸福の科学学園関西中学校やよび高等学校の設置認可に係る知事コメント
 (↑日付未記載の総務課提案文書)
地域連携関係条文 (←条文のみの羅列文書)
※私学審の議事録、私学審議会名で意見を述べた文書は、情報公開の結果「不存在」でした。

誤った「覊束裁量」の解釈を発言し、審議会を誘導?審議会の役割をも自己否定。

議事録によれば、学校設置認可の裁決を行った私学審議会では、議論に入る前置きとして、
行政の判断の枠組みとしての覊束裁量に関する発言が議長から行われていました。

[2013年2月6日の私学審議会議事録21ページ(pdf 21ページ)より引用]
 議 長: 審議会の位置付けにつきましても少し話させていただきましたので、ちょっとその前
      にまとめていきたいと思うんですけれども。

      前文科大臣の田中真紀子さんが大学の認可騒動の中で覊束裁量という言葉が
      クローズアップされま した。覊束の 「覊」 というのはたずなとか縛るとか繋ぐ
      という意味合いで、拘束されるという意味合いでございますけれども、そのこと
      につきま しては、 設置認可の法的性質とか、審議会のあり方、位置付けとか、
      答申について一応、 確認はさしていただきたいなというふうに思っております。

      学校設置認可の法的性質いうのは覊束裁量と言いまして、 行政の判断は、
      法令に基づく客観的基準によって拘束されるという、 いわゆる覊束裁量である
      というふうに言われております。

      つまり、 国の設置基準や県の審査基準に基づく要件にですね、 合致しておれば
      認可されるという、 そういうふうな解釈を文科省もやっている。

この青文字で示した事務局の説明は、単に、今回の学校設置の審査に当たっては、
行政の判断として、法令に基づく基準で判断する必要があるということを説明しています。

しかしながら、このように判断することを「覊束裁量である」として「国の設置基準や県の
審査基準に基づく要件にですね、合致しておれば認可される」と事務局が説明していますが、
これは「裁量」の部分の説明として間違いです。

そもそも国の設置基準は省令であり、法的拘束力を持っているので、合致しなければ
認可をしてはならないのは当然です。

設置基準を満たしている案件について、何を考慮すべきか(何を考慮してよいか)、
なお認可をすべきがどうか、ということを検討することこそが「裁量」
なのです。

しかし、議長は「覊束裁量である」に関する見識を誤ったまま、自分の意見としてではなく、
覆してはいけない前提事項として委員に説明したまま、私学審議会のあり方に話を移します。

[2013年2月6日の私学審議会議事録21ページ(pdf 21ページ)より引用]
 議 長: そこで、 我々私学審議会の位置付けでもございますけれども、これは知事の諮問を
      受けま して、 答申を行うわけですけれども、知事の諮問を受けました後の国の
      設置基準および県の審査基準、そういうものに基づく要件に合致しておればですね、
      そういうことを厳正に審査した中で設置認可の答申を行うというふうなことに
      なっております。

      そして知事におきましても、 この答申そのものは絶対尊重するというふうなことで、
      この答申と反するようなことはなかなか出来ないというふうに思っております。

      知事が答申を尊重するということは、私学審議会が基準に従って厳正に審査したか
      どうか。ということが求められる
ということでありまして、 我々自体、そのものの責任は
      非常に大きいものであるというふう に思っております。

      ですから我々はそういうふうな中で、ありましたように設置の趣旨とか目的とか
      教育課程とか、それから教員の組織とか施設整備とか、 今日行きましたけれども、
      そういうふうなものによって客観的な基準に照らし、 厳正に判断することによって
      知事に答申を行う ということだと思います。

      ですからなかなか、いろいろお話ありますけれども感情論的なものと かイデオロギー
      論争的なものの中にはそういうふうな場ではないでしょうし、そういう場にはなかなか
      踏み込めないなというふうには思っております。

問題とすべきは「知事におきましても、 この答申そのものは絶対尊重する」という部分でしょう。
しかしながら、そもそも、「私学審議会の答申結果に絶対に従う」という決定事項は存在しません。
明らかに「議長の意見」として語られています。

また、「というふうなことになっております。」と委員に説明していますが、一方で、それを裏付ける
文科省の見解文や、条文が提示されるような行為も行われていません。

そもそも、私学審議会の設置意義として、教育現場に精通した、様々な見識を持った
専門家を集め、意見を聞くための諮問機関として私学審議会を設置しているにも関わらず、
その趣旨に反して審議の冒頭から議長が議論を制限した状態で審議会の運営を行うことは
もはや、完全に「諮問機関の持つ専門性を自己否定」する行為といえるでしょう。

議長は「覊束裁量」発言は、過去の審議会で委員から挙がった意見への釘刺しか?

では、議長による「覊束裁量」発言の真意はどこにあったのでしょうか?

それは、学校設置申請に対するいわゆる「一次認可」の議論の頃から再三に渡って
委員から疑問が投げかけられていた地域連携を審査すべととする意見に対する反論でした。

具体的には、過去の議事録を遡ると下記のような発言が行われていました。

[2011年8月29日の私学審議会議事録6-7ページより引用]
 事務局: この案件は難しいものではあるが、地元同意を判断基準に入れることはできない。
      「明文化されていない基準で、可否を判断することはできない」との文科省の見解がある。

 委 員: 基本的にはそうであるが、それでは審議会を置く意味がない。審議会は、地元の私立
      学校の事情、地元の方の意見を聴いて、行政とは違うプラスαの判断をやる。

      審議会で認可しない方がいいとしても、知事が認可することは出来るはず。

[2011年8月29日の私学審議会議事録7ページより引用]
 委 員: 近隣住民から県にも意見があがっている最中に、教育施設を立ち上げることの是非が
      問われている。法令でやるのであれば、審議ではなく許認可である。審議というので
      あれば、教員委員会に付随するような部分まで総合的に判断する必要があるのでは
      ないか。

      
      ひとりの親として、こどもが健全に育って欲しい、世の中に役立つ人になってほしい。
      近隣との融和が図れない学校でいいのか。それが審議の範疇でないと言われるので
      あれば仕方ないが、審議会では教育的な部分が含まれてしかるべきではないか。


[2011年8月29日の私学審議会議事録7ページより引用]
 議 長: 審議会としてどのように考えるのか。基本的には与えられた権限の中で、議論して
      意見を知事に言う。設置について意見を問うとあるので、設置基準なりの関係法令が
      範疇に属すると思う。

      設置基準では明確なものであるが、学校教育法、教育基本法の理念までいくと、学校
      の安全性、保健衛生上のこともあり、心配な部分は議論してもいいのではないか。

※注意:この発言の後に議長は交代しており、上記は2013年2月6日の議長と異なる人物です。

[2012年1月12日の私学審議会(協議会)議事録4ページより引用]
 委 員: 法律に合っているだけやったら、別に総務課さんで判断しはったらいいことであって、
      私たちは地域の方の思いや、今ある私学の経営や募集状況や、それから学校の
      公共性や地域との関係を、総合的に見て判断するのが私学審議会の役割
やと
      思っていますからね

上記のような発言の飛び交う私学審議会を経て、最終2013年2月6日の審議会の冒頭で、
まるで「適合表の範囲を超えては審査できないよ、あなたたち」と言わんばかりの発言は
釘刺し発言と捉えられてもやむを得ないでしょう。

「イデオロギー論争」発言の真意は「地域連携不備」の議論から逃避する口実

先の「覊束裁量」議長の発言の中に、もう一つ取り上げるべきキーワードがあります。
それは「イデオロギー論争的なものの中にはそういうふうな場ではない」という発言です。

この「イデオロギー論争」発言については、認可の裁決を行った一年前の2012年3月1日の
審議会で、事務局である滋賀県総務部総務課の職員が知事の発言として代弁していました。

[2012年3月1日の私学審議会議事録9ページ(pdf29ページ)より引用]
 事務局: 審議会で何のためにオブザーバとして、認可ということですよね。ほんとにそこまで
      議論せんならんということであるとおもうんですよ

      (中略)

      その辺の話をし出すと、だいたい審議会でどんな意見が交わされているかというのは、
      逐一、知事の方にも上げさせてもらっているんですけれども、知事も冷静に聞いて
      もらっているというのが私の支えにもなっているんですけれども、「イデオロギー論争
      には絶対しないでね。」というのは、知事もおっしゃっています。


「イデオロギー」とは「政治や社会のあるべき姿についての理念の体系を表す言葉」と定義
されています。

しかしながら、この「イデオロギー論争はしてはいけない」発言は、学校運営上の障害となる
「地域連携」を議論している中での反論として発言されました。

更には「住民の反対理由は宗教への偏見」という実態からかけ離れた説明(詳細解説は
問題点B 核心を避けて私学審議会に説明された地元の反対理由。を参照)を事務局が
付け加えることで、「地域連携の問題」=「イデオロギー論争」という構図を演出し、「地域連携の
排議論を除することは問題ない」と正当化する私学審議会の誘導運営が行われました。

しかしながら、教育基本法に立ち返り、地域連携が謳われている以上は、現在の地域連携の
状態は、正確に把握され、私学審議会の中で評価されるべきでした。

特に、地域連携が進まない理由が曖昧なものではなく、対立の要因が学園側の対応にあることが
はっきりしていることは見逃してはならなかったはずです。

今回の一連の議事録で事務局と議長が大きく議論や判断を制限するような行為を行ったことは、
今後の全国の学校設置論争に大きな一石を投じる可能性を秘めています。