議長は「覊束裁量」発言は、過去の審議会で委員から挙がった意見への釘刺しか?
では、議長による「覊束裁量」発言の真意はどこにあったのでしょうか?
それは、学校設置申請に対するいわゆる「一次認可」の議論の頃から再三に渡って
委員から疑問が投げかけられていた地域連携を審査すべととする意見に対する反論でした。
具体的には、過去の議事録を遡ると下記のような発言が行われていました。
[2011年8月29日の私学審議会議事録6-7ページより引用]
事務局: この案件は難しいものではあるが、地元同意を判断基準に入れることはできない。
「明文化されていない基準で、可否を判断することはできない」との文科省の見解がある。
委 員: 基本的にはそうであるが、それでは審議会を置く意味がない。審議会は、地元の私立
学校の事情、地元の方の意見を聴いて、行政とは違うプラスαの判断をやる。
審議会で認可しない方がいいとしても、知事が認可することは出来るはず。
[2011年8月29日の私学審議会議事録7ページより引用]
委 員: 近隣住民から県にも意見があがっている最中に、教育施設を立ち上げることの是非が
問われている。法令でやるのであれば、審議ではなく許認可である。審議というので
あれば、教員委員会に付随するような部分まで総合的に判断する必要があるのでは
ないか。
ひとりの親として、こどもが健全に育って欲しい、世の中に役立つ人になってほしい。
近隣との融和が図れない学校でいいのか。それが審議の範疇でないと言われるので
あれば仕方ないが、審議会では教育的な部分が含まれてしかるべきではないか。
[2011年8月29日の私学審議会議事録7ページより引用]
議 長: 審議会としてどのように考えるのか。基本的には与えられた権限の中で、議論して
意見を知事に言う。設置について意見を問うとあるので、設置基準なりの関係法令が
範疇に属すると思う。
設置基準では明確なものであるが、学校教育法、教育基本法の理念までいくと、学校
の安全性、保健衛生上のこともあり、心配な部分は議論してもいいのではないか。
※注意:この発言の後に議長は交代しており、上記は2013年2月6日の議長と異なる人物です。
[2012年1月12日の私学審議会(協議会)議事録4ページより引用]
委 員: 法律に合っているだけやったら、別に総務課さんで判断しはったらいいことであって、
私たちは地域の方の思いや、今ある私学の経営や募集状況や、それから学校の
公共性や地域との関係を、総合的に見て判断するのが私学審議会の役割やと
思っていますからね
上記のような発言の飛び交う私学審議会を経て、最終2013年2月6日の審議会の冒頭で、
まるで「適合表の範囲を超えては審査できないよ、あなたたち」と言わんばかりの発言は
釘刺し発言と捉えられてもやむを得ないでしょう。
「イデオロギー論争」発言の真意は「地域連携不備」の議論から逃避する口実
先の「覊束裁量」議長の発言の中に、もう一つ取り上げるべきキーワードがあります。
それは「イデオロギー論争的なものの中にはそういうふうな場ではない」という発言です。
この「イデオロギー論争」発言については、認可の裁決を行った一年前の2012年3月1日の
審議会で、事務局である滋賀県総務部総務課の職員が知事の発言として代弁していました。
[2012年3月1日の私学審議会議事録9ページ(pdf29ページ)より引用]
事務局: 審議会で何のためにオブザーバとして、認可ということですよね。ほんとにそこまで
議論せんならんということであるとおもうんですよ
(中略)
その辺の話をし出すと、だいたい審議会でどんな意見が交わされているかというのは、
逐一、知事の方にも上げさせてもらっているんですけれども、知事も冷静に聞いて
もらっているというのが私の支えにもなっているんですけれども、「イデオロギー論争
には絶対しないでね。」というのは、知事もおっしゃっています。
「イデオロギー」とは「政治や社会のあるべき姿についての理念の体系を表す言葉」と定義
されています。
しかしながら、この「イデオロギー論争はしてはいけない」発言は、学校運営上の障害となる
「地域連携」を議論している中での反論として発言されました。
更には「住民の反対理由は宗教への偏見」という実態からかけ離れた説明(詳細解説は
問題点B 核心を避けて私学審議会に説明された地元の反対理由。を参照)を事務局が
付け加えることで、「地域連携の問題」=「イデオロギー論争」という構図を演出し、「地域連携の
排議論を除することは問題ない」と正当化する私学審議会の誘導運営が行われました。
しかしながら、教育基本法に立ち返り、地域連携が謳われている以上は、現在の地域連携の
状態は、正確に把握され、私学審議会の中で評価されるべきでした。
特に、地域連携が進まない理由が曖昧なものではなく、対立の要因が学園側の対応にあることが
はっきりしていることは見逃してはならなかったはずです。
今回の一連の議事録で事務局と議長が大きく議論や判断を制限するような行為を行ったことは、
今後の全国の学校設置論争に大きな一石を投じる可能性を秘めています。